歌会怖い問題の話。

ツイッター上には短歌を趣味とする人たちのモヤッとしたつながりのようなものがあり、これを短歌クラスタという。

その短歌クラスタで、ずっと以前から持ち上がっては消え、持ち上がっては消えしている話題に「歌会怖い問題」というものがある。複数の文脈で話題になっている。

だから、ある出来事をきっかけにA氏が長文を書き、またB氏が長文を書いた、そのことを軸に「歌会怖い問題」の論争が巻き起こったと見なすのは、間違いだ。

「歌会怖い問題」はこれまでも存在したし、これからも存在するだろう。徳川埋蔵金問題のようなものだ。

ところで、ツイッターは本来、無責任なさえずりがこだまする場で、とことん議論には向いていないツールだと僕は思う。

だから頭に血が上って長文を書いた人が複数人いても、少なくとも「ツイッターで議論、論争が湧き上がった」と受け取るのは、これも間違っていると思う。そういう人もいた、それでつぶやきも増えた、ぐらいでいいと思う。

さて、なぜ歌会が怖いのか、これは僕も考えてみた。

最初は、「歌会が怖いんじゃなくてそれ以前に人前で話すのが怖いんじゃないの」と思っていたが、これはもちろん的外れだった。

次に、戦後に民主化された大学生は、ありとあらゆる話題について議論したり総括したりして、それは短歌にも及んだが、その世代の人達が歌壇の中心にいるので、これはジェネレーションギャップなのだ。と考えた。

そしてこれも間違いで、若い人でも「怖い歌会」をする人はいるようだ。

次なる僕の新説はこれだ「批評」というものがなんなのかわからなさすぎて怖い。

辞書を引けば客観的な答えが出てくるよという人もいるが、そうだろうか。

短歌クラスタというきわめて特殊な場で使われる言葉の微妙なニュアンスなんか、辞書を編纂する人は知ったこっちゃないだろう。

感想でなく、意見でなく、指摘でなく、批評。

批評って、歌会のそれまでの空気を一変させるような、新しい価値観を投入しちゃったりするような言葉のことじゃないの? むちゃくちゃ賢いか、むちゃくちゃ偉い人だけが言えるようなことじゃないの?

そして僕は思う。批評を聞かされたり言わされたりするのが普通だとしたら、歌会は怖い。

僕はこの文章を書くに当たって、批評の語感のアンケートを取った。自分が文章に使う言葉の語感を前もって読み手に聞くことが出来るなんて、画期的なことだ。

95票集まった。

?真面目に歌会に出席しているベテランは、短歌について批評をしていて、歌会では当たり前なこと。

→26%

?真面目に歌会に出席しているベテランでも、その場で述べることができるのは「感想に毛が生えた程度」で、批評ではない。

→24%

?批評ってなんだっけ

→49%

半数は、批評って何かわかってなかった。

何かよくわからないものがやりとりされている、飛び交ってる場に行くのは、それは怖いのではないだろうか。

四人に一人は、僕と同じような謙遜派、もしくは現実派だった。つまり僕にも居場所があってよかった。

別の四人に一人は、歌会では批評を交わし会うのが当たり前だという。

そうであれば、僕の頭の中の語感とは違う語義が確かに存在すると言わざる得ない。

批評って、ポイントを抑えれば、一般人にも手の届くものだと考えてもいいのですね!

でもね、なかなか出来るもんじゃないという人も同数いたんですから、批評当たり前派は、そのことにもちゃんと留意してしゃべらないと、なんだあのキザ野郎はって、余計な軋轢を生みますよ!

……批評ってどういうのをいうのだろう。

そして僕はこの辺が、

「歌会怖い問題」の中心の一つではないかと思う。

ちなみに僕は批評当たり前派にも同情的です。他に適切な言葉がなかったら、それを使うしかないですから。